原発事故も風化している。
フクシマから4年の日に、われわれが顔を見て話が聞きたかったのは、飯舘村の菅野典雄、浪江村の馬場有、双葉村の井戸川克隆、南相馬市の桜井勝延など、被災自治体の首長や元首長たちだ。4年経って、村や町はどうなったのか、原発事故とは何なのか、事故は収束しているのか、住民はどうなったのか、当初の予想や計画と比べてどうなのか、復興できるのか。それらについて、一般の人々に真面目な言葉を送り届けてくれ、福島の現状について考えさせてくれるのは、この首長たちの言葉だっただろう。昨年の3/12に、「震災から3年 - マスコミ報道から消えた被災地の首長たち」という
記事を書いた。昨年に続いて、彼らはテレビに出ることなく、地域の現実を国民に報告する機会はなかった。もしも国民の中で原発事故の記憶が風化しているのなら、そしてその風化がよくないと言うのなら、風化を防止する上で最も効果的なのは、首長たちが4年を振り返って今を語り、国民がそれに耳を傾けることだっただろう。マスコミは彼らを隠している。大越健介は、事故直後はあれだけ自分の人気取りに彼らを利用してベタベタしながら、4年経った今はすっかり忘れたように番組に出演させない。他のマスコミも同じだ。震災から4年の日に、菅野典雄や馬場有の顔が思い浮かばないことは風化であり、マスコミが彼らを隠すことは、風化と忘却を促す作為に他ならない。