小保方晴子の不正問題について、擁護論や同情論がマスコミとネットの方々で渦巻いて喧しい。その一つの意見は、もう十分叩かれたからいいじゃないかという憐憫論で、社会的制裁は受けたのだから見逃してやれ、事件の巨悪は別のところにあり、そっちに目を向けろという弁護である。もう一つの立場は、コピペ(剽窃・盗用)など重要な問題ではなく、大事なのはSTAP細胞の存否と可能性であり、そちらに関心を向けろという主張である。後者の方は、もしSTAP細胞が追試で正式に再現されれば、小保方晴子の業績は決定的なものとなり、コピペなど些末な問題として相対化されるのだという形の免責論になっている。後者の中には、
武田邦彦のように、コピペなど何の問題もないと言い切り、小保方晴子の行為を全面的に肯定している者もいる。そして、その
武田邦彦の暴論を支持している者が少なからずいる。武田邦彦の場合は、確信犯的な小保方正当化の極論の放言であり、科学研究倫理の意義そのものを否定しようとする野心と衝動すら窺われる。論外で無責任としか言いようがなく、論評する価値もない愚論だ。武田邦彦を雇っている
中部大学にも「研究者の倫理について」定めた「
行動規範」があり、こう書いている。「本学の研究者は、自らの研究を遂行するにあたって、データの捏造や盗用等の研究活動の不正行為、及び研究費の不適切な使用の問題が生じないように、法令や関係規則を遵守しつつ、適正な活動を行う」。