御嶽山の噴火災害で問題なのは、予知ができなかったから犠牲が出たとか、地下の震動が予兆として周知されなかったとか、そういう問題ではないのだ。最も重大な問題は、災害が発生して救助を求めている遭難者が多くいたのに、生死の境をさまよっている人々が目の前に100人規模でいたのに、国が救助に出なかったことである。
消防も、
警察も、自衛隊も、すぐに救命救助に出動しようとせず、救助に出ない言い訳をあれこれ探してマスコミで捲き、無駄に72時間を浪費したことである。救助をするべき者がサボタージュし、被害者を見殺しにしたことだ。災害救助の行政システムが機能せず、その行政の不作為が正当化されたことだ。本来、この国の
消防と
警察のレスキュー隊の態勢と技能をもってすれば、あの日(9/27)、日没までに山頂に取り残された遭難者の大半を救助・搬送することができた。先進国であり、ヘリ救助に十分な予算が付され整備されている日本は、そして国土が狭くて、救助隊が短時間で空から現場に急行できる日本は、それが可能な条件を持っている。もし、野中広務が官房長官を務める政府であったなら、即刻の決断と指示で、多くを救助できていただろう。命が助かったかどうかは別に、重体の者を病院に搬送していたはずだ。少なくとも何人かは、死なずに助かった命があったに違いない。問題はその点なのだ。初動の救助の不作為が問題なのである。昔の日本はこうではなかった。