このブログはプレミアムブログです。購読することで記事全文をすぐにご覧いただけます。
このブログをフォロー

更新情報の通知を受け取れるようになります。

お礼146 コメント79
プロフィール
世に倦む日日
世に倦む日日
RSS
RSSフィード RSS
カレンダー
<  2012年7月  >
10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
・現在、コメントにつきましては、エキサイト版の方で受け付けております。ご不便をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。Twitterでの情報発信も続けておりますので、どうぞご利用下さい。
7/29の国会大包囲デモ - 朝日の報道と政治との接続
2012-07-30 23:30:00
テーマ: 政治・経済
朝日が1面トップと2面に昨日(7/30)の国会大包囲のデモの記事を書き、社説でも大きく取り上げている。まるで1か月前の東京新聞と同じ扱い方と論調だ。社説では、「1960年の安保闘争から半世紀。これほどの大群衆が、政治に『ノー』を突きつけたことはなかった」と言い、報ステの報道と同様の、デモに対してきわめて内在的で肯定的な視線になっている。野田佳彦にデモの主催者と面会せよと促し、鳩山由紀夫と菅直人と同じ要求も出している。今日の朝日の紙面を見ると、これまでの反原発デモの取り組みが奏功し、示威の成果を上げ、政治(=マスコミ)を動かした図と言えよう。しかし、何となくそういう強い実感がしない。それは、朝日自身の軽さによるものだ。朝日自身の言論が、政治家の言葉と同じく軽く、往年のような重みがないから、朝日の社説が反原発デモを賞賛したとしても、それで政治を動かしたという達成感に導かれない。5月だったか、大飯再稼働の正念場のとき、朝日は再稼働に反対の論陣を社説で張った。これは社としてある種の賭けで、政権に再稼働阻止の圧力をかけ、成功し得るという情勢判断があった上での提言だったはずだが、あえなく政権に一蹴される結果となった。現在の朝日は昔日の朝日とは違う。今日のデモの記事は、東京新聞や報ステやTBSやクロ現の後追いであり、官邸前デモの「非政治色」の安易な礼讃であり、記者が自分の頭で考えて執筆していない。
こちらの記事は有料です


2012年07月分の記事は、324pt(円)お支払いいただくとすぐにご覧いただけます。

会員登録する

官邸前デモに権力の契機を見ない小熊英二と社会学系
2012-07-27 14:30:00
テーマ: 政治・経済
昨夜(7/26)、NHKのクロ-ズアップ現代で官邸前デモの特集が放送されていた。「普通の市民の自発的デモ」を持ち上げる内容で、これまでの民放の報道と同じ内容である。この報道が、もし1か月前に放送されていれば、デモに市民権を与え、人々の参加を積極的に促す効果のあるものになっただろうが、この時点の放送では全く意味の違うものになる。政治というのは生きもので、状況と情勢は絶えず動いている。60年安保を振り返っても、5月から6月の2か月間の激動でドラマが凝縮されている。クローズアップ現代の放送は、官邸前デモを勢いづける方向に導くと言うよりも、むしろ手じまい感の漂う、これで終わりという感じを受けるものだ。状況が変わることで、全く同じ報道の映像でも、放送の政治的意味やメッセージは変わってくる。まず、一点指摘しなければならないのは、番組(NHK)は、官邸前デモの参加者が毎週増え続けていると言っていたが、実際にはそうではないことだ。警察リークの情報では、6/15が2千600人、6/22が1万1千人、6/29が1万7千人、7/6が2万1千人、7/13が1万人、7/20が7千人という推移になっている。つまり、ピークは3週間前の7/6であり、その後は連続して減っているのだ。参加者数が増え続けているというNHKの報道は嘘であり、これはわれわれの錯覚にすぎない。
こちらの記事は有料です


2012年07月分の記事は、324pt(円)お支払いいただくとすぐにご覧いただけます。

会員登録する

60年安保の自然発生性 - 官邸前デモの多様性の欠如
2012-07-25 23:30:00
テーマ: 政治・経済
小熊英二の『民主と愛国』の中で、60年安保のデモについて次のように書かれている件がある。「5月19日以降、運動は一気に高揚を迎えた。国会周辺は連日のデモで埋まり、5月20日から一月間の動員数は、それ以前の1年余の動員数を上回った。6月4日には戦後最大の交通ストが行われ、各地の集会・デモの参加者は国民会議の発表では560万人に達した。(略)実際に当時の国会周辺は、各地から集まった各種のグループが掲げるさまざまなプラカードや旗で埋まり、『他声部の複雑なフーガ』の様相を呈していた。そこには学生や労組員のデモだけでなく、劇団員や作家の隊列、大学教授の請願団、ノレンを掲げた商店主のデモ隊、さらには『ムシロ旗をもった農民、ウチワ太鼓を鳴らす仏教徒、子づれの女たち』などが集まっていた。社会学者の日高六郎は、安保闘争の特徴として『参加者の多様さ』を挙げた。(略)6月3日、デモのあとの街頭を取材したラジオ局員は、『都会のよそよそしい<個人>がいない。20、30人の市民たちが、まったく自然に、目撃した事件について話し合い、討論し合っている』と報じている。(略)6月3日、日本橋でデパート労組が主催した安保研究会には、主催者の予想をこえて、若い女性社員たちが多く集まった。そして彼女たちの会話は、安保問題から『疎開児童としてなめた苦しみ、未亡人になった母の苦しみ』など、『自然に戦争体験につながって』いったという」(P315-318)。
こちらの記事は有料です


2012年07月分の記事は、324pt(円)お支払いいただくとすぐにご覧いただけます。

会員登録する

7/20の官邸前デモ - 政治からの接触と骨抜きの危機
2012-07-23 23:30:00
テーマ: 政治・経済
7/20も官邸前デモに出た。この日は午後4時から大雨となり、デモが始まった後も容赦なく土砂降りが続き、最悪の状態の中での立ちんぼとなった。身一つなら傘でも雨合羽でも何とか凌げる。しかし、現場に持って行ったバッグはそうはいかない。鞄を預けるロッカーなどないのだ。足下の地面に置くしかなく、縫製の内部まで雨水が浸みこんでぐっしょりの被害だった。風呂場のシャワーを4時間かけ続けたのと同じで、財布の中の紙幣まで水を吸ってボロボロに。7/16の炎暑地獄のブルーシートの拷問といい、デモに出るということはひたすら忍耐するということであり、私生活に無理を強いて消耗と負担を引き受けるということだ。デモが終わる頃、雨が上がり、上空に北からの冷たい空気が入って一帯を包み込んだ。肌寒い秋の夜の静寂となり、濡れそぼった身体が芯まで冷え、体調を崩さないかと心配しながら帰路についた。先週と較べて、参加者の出足はかなり鈍く、解散後に散る足は素早かった。人数が減ったなと推測していたら、案の定、警察リークのカウントは前々回(7/6)の2万1千人の3分の1の7千人に落ちていた。雨が災いした点が大きい。しかし、それだけでもないと思われる。6月から官邸前デモは高齢者の参加が目立って多くなっていて、膨らんでいく人数の主要な顧客層となっていた。高齢者にとって2時間の立ちんぼとコールは楽ではないのだ。健康を考えれば、デモの皆勤は難しいのである。
こちらの記事は有料です


2012年07月分の記事は、324pt(円)お支払いいただくとすぐにご覧いただけます。

会員登録する

「中立な市民デモ」の陥穽 - マスコミと橋下徹への回収
2012-07-20 23:30:00
テーマ: 政治・経済
辺見庸が、『いま、抗暴のときに』の中で、デモについて次のように書いている。「それにしても、昨今のデモのあんなにも穏やかで秩序に従順な姿、あれは果たして何に由来するのであろうか。あたかも、犬が仰向いて腹を見せ、私どもは絶対にお上に抵抗いたしませんと表明しているようなものである。埴谷雄高は『デモについて』の中で、デモが『自己消費的な惰力』となって本来の目的性を失うことを戒めている。彼はデモの暴走について述べているのだが、このところのデモでは(中略)暴力よりはるか以前の自己消費と自己満足、小さな愉悦のようなものが鼻につく。まったく魅力がないのだ。なぜあそこまで『健全で穏和な市民』を装い、非暴力と無抵抗を誇る必要があるのか」(P.20-21)。「あんなものをデモンストレーションというのなら、私も昨年来、何度か有事法制反対の『デモ』なるものに参加し、かつてとの様変わりに驚き、砂噛む思いどころか鳥肌が立つようなことも経験した。いったいどんな意味があるのか。動物の縫いぐるみをまとった者や看護婦に仮装した男が先頭で踊ったり、造花を道行く人に配ったり、喇叭や太鼓を打ち鳴らしたりという『デモ』もあった。あれが今風なのだといわれても私にはわけがわからない。示威行進のはずなのに、怒りの表現も抗議のそれもさほどではなく、なぜだか奇妙な陽気さを衒う、半端な祭りか仮装行列のようなおもむきのものが少なくなかった」(P.18)。
こちらの記事は有料です


2012年07月分の記事は、324pt(円)お支払いいただくとすぐにご覧いただけます。

会員登録する

世に倦む日日
Powered By レジまぐ
ページの先頭へ