解散からすでに3週間が経った。投票まであと3週間、各党の選挙公約が出揃い、選挙戦は後半に入っている。告示日を過ぎれば終盤を迎える。選挙戦の半分の時間が過ぎ去ったが、選挙への期待や興味は全く湧いてこない。この選挙は何なのだろうと、憤りと諦めの気分と、不愉快と焦燥感を交錯させながら、テレビの前でずっと戸惑い続けている。このままの情勢が進行し、3週間後に投票所に行くのかと思うと、本当に気が重くて憂鬱になる。何のための投票なのか。極右を政権に就かせ、改憲と国防軍を民意が選択したという選挙に、国民の一人として棄権せず、きちんと参政権を行使しましたと、そう自分を慰め宥める一票なのか。この選挙を面白がっているのは、第三極劇場の制作と演出をしているマスコミ自身だ。安っぽいお笑い番組が、下劣なお笑いタレントとスタッフが内輪ネタで愉しむのを放送して身内で興じるように、マスコミが面白がって自由自在に選挙をドライブしている。マスコミが、後藤謙次と田崎史郎と大越健介が、自作自演の劇場選挙をカメラの前で面白がれば面白がるほど、テレビの前のこちらは苦痛で、鬱懐と憤懣で顔が歪んでしまう。思えば、解散の日、日テレの糟谷賢之とNHKの藤田一宏は、(1)安倍自民が野田民主から政権を取り戻せるか、(2)第三極がどこまで勢力を伸ばせるか、が今度の選挙の争点だと提示した。なるほど、こうして自分たちで周到に定義した「争点」に沿って、テレビはずっと劇場選挙を演出し中継している。