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冴えわたり響く辺見庸の言霊 - 3・11後の言葉と思想へ
2011-04-28 23:30:00
テーマ: 読書・文芸
辺見庸がテレビに出たのは2年ぶりで、2009年の2/1のETV特集以来のことである。あのときの秋葉原事件を語った「しのびよる破局」も絶品だったが、今回の大震災を語ったモノローグも素晴らしく感動的な中身だった。新しい詩編が間もなく発表されるらしいが、今回の語りが、2年前のように文章となり新刊となることはないのだろうか。辺見庸のオーラルは冴えていて衰えていない。むしろ完成度が上がっている。口を発して出る全ての言葉に隙がなく、一言一句が詩文として推敲され彫啄されて芸術品に仕上がっている。辺見庸は語る言葉を全て暗記していて、表現はアドリブではないのだ。司馬遼太郎のモノローグも素晴らしかったが、辺見庸も素晴らしい。2年前のETV特集のあと、5月に早稲田で講演し、昨年12月に日比谷で講演しているが、昨年の様子などを噂で聞くと、もう外で講演する機会はないのではないかという予想を持っていた。身体の具合が悪いのと、講演を依頼した主催者との関係に納得していない雰囲気が窺われたのである。その意味で、今回のETVでのパフォーマンスは、私からすれば「復活」の印象が強い。今回も映像で階段を歩行する姿が出るが、身体の不自由はさらに進んでいる感があった。あれだけのパフォーマンスを収録できるということは、NHKのスタッフとの信頼関係があるのだろう。できれば、テレビ出演の機会を多くして欲しいと思う。
辺見庸が語る大震災 - 瓦礫のなかから言葉をひろって
2011-04-25 23:30:00
テーマ: 読書・文芸
失われてみて、その記憶の大きさが自分の中でいかに大事だったか、自分の表現を支えてきた土台に、あの魚臭い町があったということを思い知らされたわけです。堤防があった。海岸で遊ばない日はなかった。いつも耳鳴りのような、幻聴のような潮騒と海鳴りを不思議に思ってきた。僕にとっては、あの荒れ狂った海が世界への入り口だったし、授業中に校舎の窓からも海が見えた。いつか、あの海の向こうに行くんだと、自分で決めていた。私はいつも自分をコスモポリタンだと、根無し草だと思ってきた。僕にはルーツなんか無いものだと思ってきた。記憶の根拠になるものなんて本当は無いものだと思い続けてきたけれど、今度という今度は本当に思い知らされた。慌てている。自分には立つ瀬がないとさえ思うようになっているわけです。2011年3月11日に一体何が起きたのか、僕らはまだ3・11から時間がそれほど経過していないので、正直、呆然自失していると思うんです。その理由は、その破壊の大きさと、あのダイナミズムをあらわす言葉を誰も持っていなかったということだと思うんです。それを言い表す言葉が数字以外にないということは、こんなに実は淋しいことはない。皆さんが待ち望んでいるのは、水であれ、食料であれ、暖房かもしれない。と同時に、胸の奥に届く言葉でもあるような気がしているのです。それは決して、がんばれとか団結とか復興とか、通り一遍の言葉をスローガン的に言うことではない。
田中好子の死を悼む - 合宿生活とMADE IN JAPAN
2011-04-23 23:30:00
テーマ: 政治・経済
キャンディーズについて語ろうとすると、やはり、青春とか青春時代という言葉で冒頭を言い表そうとする。「キャンディーズは私の青春そのものだった」とか。しかし、そこで小さな抵抗感が起こり、やがて思考の迷路に嵌って立ち往生をしてしまう。青春という言葉は、今、その意味が一般に通用する言葉なのか、青春という日本語はあるのか、そう思い始めると、この言葉を容易に使えなくなる。安っぽくなると言うか、リアリティがなく、言葉の響きへの共通感覚を期待できず、文章で言い挙げて納得できる自信を持てないのだ。辺見庸が、言葉から見離されているとか、言葉が縒れて意味を剥がれていると言っているが、青春という言葉は、もう今の日本では簡単に使うのは躊躇わされる言葉なのだ。今の日本の若者に青春はあるのだろうか。30代の人たちに、青春という語にふさわしい質量を伴った体験と記憶はあるのだろうか。否、50代や60代の者たちは、青春という言葉の当時の意味を覚えているだろうか。自分自身の青春時代を、何のコード変換もなく、編集処理もなく、自己欺瞞なく、ありのまま思い出すことができるだろうか。青春という語がすでに瑞々しさを失い、干涸びて、意味から剥離されて形骸化していることに気づくことがなければ、無前提に「キャンディーズは私の青春だった」と人に言い伝えるのは無意味なのだ。青春という言葉は古典語になっている。
榊原英資 - 「増税の必要はなく、財政支出を拡大せよ」
2011-04-21 23:30:00
テーマ: 政治・経済
消費税増税を正当化する常套句として、「将来の世代にツケを残さないため」という言葉が言われる。この寸言はキラーフレーズとして効いていて、テレビ報道を聞いていても、復興財源を消費税増税で賄う理由の説明については、この言い捨てで簡単に済まされている。国民の共通認識だから、それで十分だろうという政治や官僚やマスコミの判断が窺われる。まるで水戸黄門の印籠の威力であり、この一言が放擲されただけで、国民は頷き萎れて地面に跪くのだ。武装解除され、抵抗を止めてしまう。支配のイデオロギーは、単純であるだけ効力があり、反論や否定が難しい。「子どもの世代に借金返済の負担を押しつけるな」という命題は、一般人の素朴な倫理と常識に依拠し、正義として無条件に肯定され、理屈以前の感情のレベルで揺るがない正当性が確立される。しかし、よく考えれば、この命題はおかしい。例えば、新しく事業を起こそうとする者は、金融機関から立ち上げの資金を借り入れるのが普通であり、手持ち資金のない者は借金でイニシャルコストを賄うのが一般的だろう。事業の中で利益を回収し、借金を返済して行く。個人が家を買うのも同じで、20年30年のローンを組んでマイホームを購入する。子どもの幸せのために家を建てる。資金がなければ借金し、それで将来にわたる幸福を設計する。将来の世代の幸福を考えれば、今は手持ち資金がない身なのだから、借金で日本経済を再建し、拡大循環の軌道に乗せる選択が正しいのではないか。
復興財源の政治 - 景気への懸念や対策が全然出ない
2011-04-20 23:30:00
テーマ: 政治・経済
呆れることに、復興問題はすっかり消費税増税問題にスリ替わっている。菅直人が立ち上げた復興構想会議なるものは、単に震災のどさくさにまぎれて消費税増税を決め込むための姑息な舞台装置だった。それまでの1か月、復興財源の議論の中で筆頭候補ではなかった消費税が、4/14の五百旗頭真の会見での「復興税」の発言後、急速に台頭し、4/15と4/16の朝日新聞の1面記事になり、週明けには新聞各紙とNHKで世論調査の結果が出されるという速攻の進行になった。マスコミを使って消費税増税のモメンタムをラッシュさせ、強引に既成事実化する政治を進めている。これは、菅直人と官僚の計画どおりの作戦の遂行なのだが、一つ重要なことは、4/24に統一地方選後半戦の結果が出て、そこで「菅退陣」の政局が始まるという日程である。つまり、菅直人と官僚は、この逆風を見越して、2週間の政治を消費税増税で騒いで埋め、押せるだけ前へ押し、半ば既成事実に固めるべく詰めてきたのである。統一地方選の結果が出れば、確実に菅政権は危うくなる。岡田克也と菅直人が追い詰められ、セットで消費税増税の政策にもカウンターが来る。だから、官僚は陣地をなるべく取っておこうと急いだのであり、復興財源=消費税増税の流れを固めようとしたのだ。菅直人の方は、自身の権力延命のため官僚と手を組み、官僚の意向と利害を急進的に汲む策に出た。官僚の従順な手先で動けば、マスコミから叩かれずに済むからだ。
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