エジプトから国内政治に目を転じると、言葉を失って呆然とさせられる現実がある。2/6(日)の夜に名古屋市長選に当選した河村たかしが、頭から水をかぶる痴態を演じていたが、その映像を見ながら、何とも心が凍りつくような気分になった。言葉で表現できない恐ろしさと絶望感を感じる。これが日本の政治なのだ。エジプト人たちが、命を賭けて勇気を振り絞って革命の行動に立ち上がり、反革命側のテロ攻撃と素手で対峙しているときに、日本では腐った衆愚政治の茶番に湧き、吉本興業やたけし軍団の愚劣で粗悪なギャグパフォーマンスに大衆とマスコミが喝采の声を上げている。政治はお笑い芸人がドミナントするテリトリーになり、政治=お笑いが常態になっている。報道の人間も、有権者である一般国民も、ネットの前で呟く者たちも、その倒錯した常態を当然の現実として認め、何の拒絶感も危機感も持っていない。一国の政治の水準はその国の民度の反映であるという言葉があり、大学2年のときの政治学の講義で習った。そのときの教科書が「現代政治の思想と行動」で、丸山真男が誰かの引用でその格言を紹介していたはずだが、本の中のどの部分だったか思い出せない。探しながら本を読んでいるうち、丸山真男の文章の日本語の水準の高さに圧倒され感服させられたが、同時に、当時の日本人と知識人と日本の政治のレベルの高さという問題に思いを馳せざるを得なかった。