東京芸大美術館で開催されている
シャガール展を見てきた。
上野公園の入口から右に折れて大噴水のある広い通りを歩き、国立博物館正門に突き当たる手前を左に入ると、その奥が芸大の敷地に繋がっている。この一帯は樫や銀杏の巨木が並ぶ鬱蒼とした森で、都会の住民が散歩するのに絶好の場所だ。上野公園の素晴らしさは、目を見張る巨木の木立にある。来るたびに、この巨木に囲まれた森林空間が市民にパブリックに提供されている公園であること、そこへいつでも行ける東京に住んでいることの幸福と幸運を感じる。けれども、この空間で必ず目にするのは、格差社会の最も悲しく深刻な現実で、通るたびに路上生活者のための炊き出しや集会に遭遇することになる。そこに群れ集まる者の数の多さに驚かされる。巨木の景観を圧倒する衝撃の人数が視界に入る。その日も、
キリスト教の慈善団体が食料品を無償配給し、ホームレスの人々の散髪をサービスする救援事業を行っていた。その社会的現実を目撃した気分の余韻で、快適な森林散策の感動が減殺される。その現実を横目で見ながら、平日(8/20)の昼間に
シャガール展に行く者たち。おそらく、巨木の下を美術館へ歩く富裕な人々にとって、この現実は自分の世界からは縁遠いもので、垣間見た風景は自分とは無関係なアクシデントで、シャガール展への期待と興奮に水を差す不具合な「余興」の出現なのだ。だが、私はそうではない。無関心でいられる人間ではない。二つの人々の中間に私はいる。