児童文学の古典的名著が実は偉大な経済学だったという例として、他にダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』がある。この作品は経済学の重要な教材としてマルクスやウェーバーに議論され、日本では大塚久雄によって繰り返し取り上げられた。私より上の世代で社会科学を学んだ者は、ダニエル・デフォーは大塚久雄の名前と分かちがたく結びついている。デフォー論は大塚史学の1丁目1番地で、ウェーバー論(プロ倫)以上に重要な理論的核心を成していた。同じように、現在、ミヒャエル・エンデの『モモ』が経済学の重要な議論対象になっている。デフォーは17世紀の昔の人だが、作品は300年の時空を超えて不滅に輝き、現在も経済学上の関心の必須的存在であり続けている。近代資本主義とは何かを基礎から考えるとき、知的与件として『ロビンソン・クルーソー』の物語が視野に入って来ざるを得ない。エンデが全く同じで、資本主義が100年後も世界で続いていたならば、それを学生に説明する経済学者は、講義の後半でエンデの『モモ』を援用していることだろう。エンデの貨幣論はまさにポスト・マルクスの決定版の知見で、本来はマルクス自身が見出さなくてはならなかった結論を提示している。哲学あるいは政治学としてのマルクス批判は、アレントが完成させていると言っていいと思うが、経済学からのマルクス批判は、おそらくエンデとゲゼルが本質を射抜いている。不勉強な私は、恥ずかしながら、これまでエンデの貨幣論も減価通貨も知らなかった。