雑誌「世界」の6月号に載った湯浅誠の論文について考察したいが、その前に、NHKの大河ドラマの話を序論にする。現在、「龍馬伝」に登場しているほとんどの者が死ぬのである。半平太も死ぬ。岡田以蔵も死ぬ。望月亀弥太は池田屋事件で死ぬ。近藤長次郎も長崎で死ぬ。ドラマは放送するかどうか不明だが、天誅組の変で吉村寅太郎が死ぬ。すべての土佐の志士が死に果て、最後に龍馬と慎太郎が死ぬ。沢村惣之丞も死ぬ。ほとんど、20代後半の若さで死ぬ。龍馬の物語というのは、龍馬の仲間たちが次々と殺され、死地に赴き、消えて行って、最後に残った龍馬が死ぬ番を迎えるという悲劇の物語である。誰も生き残らない。土佐の志士たちが死に果てた瞬間、日本の夜明けを迎えて、幕末の時間と空間は終わり、明治レボリューションとなる。彼らは何で死んだのだろうか。土佐の若い志士たちは、後世のわれわれに、面白いドラマを見せて喜ばせるために死んだのだろうか。それとも、何か革命趣味の弾みが過ぎて、勢い余って無駄な命の落とし方をしたのだろうか。よく週末になると、10代の免許取り立ての男女が未明に暴走行為をして、スピードを出しすぎ、電柱に衝突して、3名死亡とか4名死亡とか、そういうニュースがある。土佐の志士の死に方は、そういう死に方なのだろうか。革命という問題を軽視して、山口二郎的な改良主義を言い上げる左翼は、屡々そのように志士と維新を捉える。現在のNHKもそういう脱構築主義的な革命否定の描き方をしている。