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シュワブ陸上案の政治 - 沖縄は80%の民意を本格示威する運動を
2010-02-21 23:30:00
テーマ: 政治・経済
シュワブ陸上案について、2/19の会見で鳩山首相は、「米国に正式なルートで打診していない」と発言した。が、米国側は打診を受けていた事実を認めていて、打診に対して環境面などの理由で否定的な回答を示している。そもそも、辺野古陸上案は普天間移設に際して最初に持ち出された案で、住民への騒音被害や危険性から海上案に変わった過去の経緯があり、この時期に政府案になるはずもない愚案だが、実際に、先週、政府から米国側に非公式に打診されていた。この打診の責任者は平野博文で、おそらく官邸から直接に行っている。陸上案の発案者で、この案で5月末の政府案を纏めようと策動した中心人物は下地幹郎であり、謀議の中核は下地幹郎と平野博文と阿部知子の3人ということになる。北マリアナ視察に同行した松野頼久も一味の一人だろう。結論から先に解説すると、無能な平野博文が下地幹郎の山師的な法螺話に乗せられて、この陸上案を検討委の最終案に固めようとしたのだ。平野博文が下地幹郎の法螺話に乗ったのは、下地幹郎が沖縄選出の議員で、「地元の根回しは俺に任せろ」と言ったのを信じたのと、下地幹郎がこの案で亀井静香の了承を取り、亀井静香を通じて小沢一郎の内諾を得ていたからである。小沢一郎の承諾。これは政治的に大きい。これが決定打となり、平野博文は舞い上がって飛びつき、これなら行けると米国側に打診、2/17の検討委で下地幹郎に正式提案させようとした。
福島瑞穂は阿部知子を除名処分せよ - テニアン市長を日本に呼べ
2010-02-18 23:30:00
テーマ: 政治・経済
バブル崩壊からまもなく20年になろうとしている。失われた20年の間、国民所得は減り続け、勤労世帯の年収は減り続けて日本人は貧乏に落ちぶれた。デパートで商品を買う購買力がなくなり、銀座のデパートでは日本人の代わりに中国人を顧客にして商売を繋いでいる。中国人が買物客として来ない地方のデパートは潰れるしかなく、次々に閉店のニュースが続いている。歴史を繙くと別世界がある。浦賀ショックから20年後、明治5年だが、日本人は新橋-横浜間に鉄道を敷設して開通させた。ペリーの黒船艦隊を初めて見て腰を抜かした日本人は、わずか20年後、陸蒸気を走らせて公共交通機関とした。いま40歳の人は、人生の半分を不景気の社会の中で生き、疲弊と憔悴と失意と憂鬱の中で人生を送ってきて、それをさらに続けようとしている。若い日本人ほど、生まれたときから希望を持てない格差社会の住人として固まりつつある。幕末の日本人は時間を無駄にしなかった。当時は、電話もFAXもインターネットもない。情報を伝えるには、江戸と京大坂を片道10日も15日もかけて歩き、それを往復しなければならなかった。大山巌(弥助)は、幕末のとき、東海道を三十回以上往復したと回顧している。交通と通信の手段のない時代、日本人は何と素早く決断し、行動し、社会を変え、時代を動かしたことか。そこら中の書店や図書館に技術科学の本が置いているわけでもないのに、日本人はよく勉強して最新の知識を吸収した。
菅直人の転向 - 国民への裏切り、マスコミと官僚と経団連への諂い
2010-02-17 23:30:00
テーマ: 政治・経済
竜馬がゆく』を読み返しながら、今の日本が信じられない気分になる。この本を繙くのは、この30年間で三度目だが、前回や前々回とは全く違った感覚で読んでいる。「幕府はよくやっている」などと思ったことは一度もなかった。今の日本政府があまりに酷すぎ、今の日本人があまりに滅茶苦茶すぎて、『竜馬がゆく』の日本が別の国の話のように見える。違う民族の歴史のように感じる。と言うより、『竜馬がゆく』に描かれているのが本当の日本と日本人のはずだと私は思うから、であるとすれば、今のテレビやネットで見える日本と日本人は一体何なのだろう。幕府は、黒船来航の翌年に独力で洋式軍艦を建造、斉彬の薩摩は翌々年に蒸気船を開発して試運転に成功した。黒船から7年後、幕府は日本人乗組員の操舵と機関で太平洋横断を実現させている。浦賀ショックからわずか15年で日本人は社会体制を一新、幕藩制から近代国家へと姿を変えて世界史に躍り出た。昔、『竜馬がゆく』を最初に読んだとき、司馬遼太郎は竜馬や志士たちを美化して大袈裟に描いていると感じたが、今は全く逆の感想を持つ。書き足りてないと思う。人間が政治と社会を変えていくスピード感と迫力は、小説に描かれている以上に力強く凄まじいものがあったはずだ。そうでなければ、あれほど劇的に政治と社会は変わらない。彼らは時間を無駄にしていない。今の日本は、どうしてこれほどと思うほど時間を無駄にしている。
『龍馬伝』第7話を見る - 小龍と万次郎、土佐とアメリカとモンゴル
2010-02-15 23:30:00
テーマ: 芸能・TV
『龍馬伝』のおかげで週末が頗る楽しい。第7話も感動の物語が届けられていた。前にも述べたが、このドラマの素晴らしい点は、一年間放送が続く長編作品でありながら、一話毎の完成度の高さがあることで、45分間の中に起承転結の完結性があり、クライマックスが設定され、感動のボルテージを高めてフィニッシュを入れている。一話一話にキーのメッセージがある。ドラマの基本が押さえられている。最近の日本のテレビドラマに感じていた不満や欠点が、この作品では悉く解消されている感があり、基本に忠実なドラマ作りに大いに好感が持てる。第7話は親子の絆と愛がテーマで、龍馬の成長を見守りながら死を迎える老父八平の姿を描いていた。香川照之が公式サイトで絶賛しているとおり、児玉清の演技が圧巻で釘づけにさせられた。「親の喜びは子どもの成長を見ること」。無縁社会のいま、死期を悟った八平役の児玉清が病床から発した言葉は視聴者の胸を打つ。45分間の後半、龍馬の帰還を迎え、八平の死を見守る坂本家が描かれる。この『龍馬伝』のカメラが坂本家を捉える方法は、まるで山田洋次の映画のようで、歴史であれ、何であれ、ドラマは家族をこそ描いて見せるものだという普遍的な鉄則を確信させられる。7年前、われわれが韓国ドラマに感動したのは、そこに家族の問題が描き込まれていたからであり、日本のドラマにおける家族の不在が意識されたからだった。
春にお勧めする『龍馬伝』高知の旅 - 桂浜、城下、安芸、脱藩の道
2010-02-13 23:30:00
テーマ: 旅行・レジャー
1983年刊の『現代視点 坂本龍馬』という古い本の中で、宮尾登美子が文章を寄せていて、冒頭、次のように言っている。「高知の下町に育った私が通っていた昭和尋常小学校では、戦前はずっと春の遠足は桂浜、秋は近郊の登山と決まっていたものだった。(略)校列はいきなり浜へは下りず、松の走り根をまたぎながら巌頭に立つ坂本龍馬の銅像の下に整列し、そして校長先生から龍馬についての話を毎年とっくりと聞かされるのである。(略)いまでもそうだけれど、戦前の桂浜はとくに、高知市民の何よりの憩いの場であり、小学校からさらに女学校までの遠足と、他にも数え切れないほどたびたび、私も家族と一緒に出かけたものだった」(P.60 旺文社)。校長の説話はないが、戦後も事情は基本的に同じで、桂浜は学校の遠足の定番コースになっていて、飽きもせずに何度も行く。生徒たちは浜の波打ち際で五色の石を拾い、併設の水族館で大きなウミガメを見て時間を潰す。桂浜の遠足はバスに乗っている時間も短く、生徒たちはやや退屈でマンネリだったが、教師たちには安心で安全で無難で手頃な引率先だった。宮尾登美子はこう書いている。「土佐の春といえばもうほとんど夏で、じりじりと照りつける太陽のもとでいつも同じ話を聴かされるのはうらめしく、(略)」。この情報が実は重要なのである。高知を旅するのなら、1月から3月の季節がベストバイだ。
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