バブル崩壊からまもなく20年になろうとしている。失われた20年の間、国民所得は減り続け、勤労世帯の年収は減り続けて日本人は貧乏に落ちぶれた。デパートで商品を買う購買力がなくなり、銀座のデパートでは日本人の代わりに中国人を顧客にして商売を繋いでいる。中国人が買物客として来ない地方のデパートは潰れるしかなく、次々に閉店のニュースが続いている。歴史を繙くと別世界がある。浦賀ショックから20年後、明治5年だが、日本人は新橋-横浜間に鉄道を敷設して開通させた。ペリーの黒船艦隊を初めて見て腰を抜かした日本人は、わずか20年後、陸蒸気を走らせて公共交通機関とした。いま40歳の人は、人生の半分を不景気の社会の中で生き、疲弊と憔悴と失意と憂鬱の中で人生を送ってきて、それをさらに続けようとしている。若い日本人ほど、生まれたときから希望を持てない格差社会の住人として固まりつつある。幕末の日本人は時間を無駄にしなかった。当時は、電話もFAXもインターネットもない。情報を伝えるには、江戸と京大坂を片道10日も15日もかけて歩き、それを往復しなければならなかった。大山巌(弥助)は、幕末のとき、東海道を三十回以上往復したと回顧している。交通と通信の手段のない時代、日本人は何と素早く決断し、行動し、社会を変え、時代を動かしたことか。そこら中の書店や図書館に技術科学の本が置いているわけでもないのに、日本人はよく勉強して最新の知識を吸収した。