インターネットでは、この集会に参加しましょうと呼びかける情報は多いが、実際に集会に参加した人間が報告記事を書いている例は少ない。例えば、1/30の「
普天間基地はいらない」の全国集会にしても、主催者発表で6千人の参加がありながら、その現地報告をネットで記事配信している者はほとんどいない。集会に関する情報をネットで拾おうとすると、主催者の呼びかけ文をコピペしたBlogばかりが検索上位に出てきて、単なる動員のための宣伝記事の山を目にすることになる。結局、その集会がどのような中身だったのか、誰がどのような発言をしたのかについては、
マスコミ報道で知るしかないのである。6千人の参加者以上に、今回の集会に注目した者は多かったはずで、できれば自分も参加したかったと思っている人は全国に無数にいるだろう。出席したかったけれどできなかった人たちに対して、出席した人間は報告を発表しなくてはいけない。そういう参加レポートの少なさからしても、この集会の組織動員的性格は窺われるのである。こうした集会に参加している者とか、あるいは高い関心で見守っている者の多くは、マスコミ報道に対して批判的で、マスコミが政治に関する事実を正確に報道しているとは考えていない場合が多い。だとするなら、1/30のような集会の事実をマスコミでのみ知り、それで誰もが一喜一憂しているというのは、本来的に矛盾した情報生活のあり方だとは言えないか。