村上春樹の『1Q84』を読んでいる。田原総一郎の「サンデープロジェクト」で鳩山邦夫や東国原英夫が話すのを見ながら、私はうとうとと居眠りをしてしまった。関心が持てないのだ。週末の番組に出てくる評論家たちの「末期症状」という言葉を聞きながら、政治家以上に彼らの言葉の軽さを感じて、政治にも評論家の言説にも関心を集中させることができない。何が末期症状なのか。末期症状なのは、麻生政権だけでなく、自民党だけでなく、民主党を含めた日本の政治そのものではないのか。末期症状を言っているマスコミの言論が末期症状なのではないのか。「政権交代」を囃し立てるブログ左翼こそが末期症状の本質を示す存在なのではないのか。ネットに吐き散らされている政治言説は、彼らの生活からの要求や心の底からの叫びではない。テレビの評論家のそれが商売であるように、娯楽としての政治趣味であり、ネットで仲間外れにならないための身内の挨拶の復唱だ。末期症状なのは、政権ではなくわれわれ自身なのである。単に生活の破滅とか将来の絶望とかだけでなく、意識そのものが存在根拠を失おうとしている。テレビを見ても、ネットを見ても、自分の位置を確認できない。