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海を見ていた午後
2012-02-03 23:30:00
テーマ: 音楽
松任谷由実の名曲『海を見ていた午後』、その曲と詞を山本潤子がテレビで説き語る場面があった。当時から1番の歌詞にある「ソーダ水と貨物船」の表現ばかりが注目され、その絶妙の色彩感と想像力が評判を呼んでいたけれど、ドラマの内実と顛末は2番で説明されている。お上りさんが門前市をなすようにドルフィン詣でに繰り出していた頃、その列の端に並んで興じていた私は、2番の歌詞に注意を払ったり感動したということがなかった。今回、山本潤子の共感の言葉を聞きながら、あらためて2番に描かれている物語の情景に惹き込まれ、このラブストーリーの時代性の新鮮さに感じ入る。一言で言えば、女の子の心が真面目なのであり、透きとおった純愛の世界があるのだ。ここから13年後に村上春樹の『ノルウェイの森』が売れ、純愛ブームで世間が沸いた季節があったが、このとき懐かしんだものは、きっと2番の歌詞に登場するような過去であり、一人一人の記憶だったのだろう。あのころ、この曲の1番と2番の展開の妙や詩的完成度に気づかなかったのはどうしてだろうか。それは、自分の若さ未熟さもさりながら、この時代の歌が、こうした言葉が並んで世界を作っていた作品ばかりだったからではないか。新鮮さは、いま強く感じるもので、その当時は、言葉が普通に並んでいただけだった(青春の感傷と未練の)。純粋な愛と心の世界が失われているから、かけがえのない宝石のように感じられるのだ。
ジョン・レノン30回忌の欺瞞と孤独 - 誰も反戦と平和を言う者がない
2010-12-08 23:30:00
テーマ: 音楽
今日はジョン・レノンの30回目の命日。あれからもう30年も時間が経った。ネットでは微かにアニバーサリーの情報が見えるが、マスコミや業界は冷淡と言えるほど扱いが靜かで、ジョンに関心と尊敬を寄せる層が高齢化している現実を窺い知る。おそらく、ジョンの30回忌に何かを企画して世に問うべき者たちが、業界の第一線から引退を始めているのだ。若い世代はジョンやビートルズをよく知らず、当時の時代の空気を肌身で感じて育っていない。精神のカーネルの中にジョンの要素がない。ジョンの思想的影響という点からすれば、あくまで一般的にだが、若い世代はそこから自由と言うか、もっと言えば、ジョンの思想性については、自分とは無縁で異質なものとして、対立的な対象として、遠い過去のものとして捉えているだろう。「左翼」という否定的な観念と表象が被せられて、嫌忌的な存在として意識しているかもしれない。本当に、世界はジョンの理想や思惟からは遠い地上となった。ジョンの思いや願いが人の心に届かず、人の心に共有されない現世になった。世界は通信と情報のテクノロジーで繋がり、とても小さな界隈として一つに縮まったにもかかわらず、人と人の心が通い合わない空間になっている。金儲けと弱肉強食の論理だけが支配する、「グローバリズム」のプロトコルで人と人が関係する無機的な世界になっている。それは、ジョンの意志や希望とは敵対的なものなのだ。愛のない世界だ。
加藤和彦の死を悼む (2) - 「イムジン河」、北山修との最後の晩餐
2009-10-20 23:30:00
テーマ: 音楽
記憶が定かではないが、15年ほど前、テレビ東京で「イムジン河」の誕生秘話を案内する特集番組があった。その番組には松山猛本人が出演していて、後の映画『パッチギ』のモチーフになるエピソードがそのままドキュメンタリーとして放送されていた。エピソードの概略は、われわれの世代には伝説として脳裏に刻まれているもので、ラジオの深夜放送で聞き囓った話だとか、それを聞いた者の口コミとか、政治に詳しい級友の解説とか蘊蓄とかで、中学や高校の時期に情報として広まっていたものだったが、実際に松山猛の口から事情が説明されるのを聴くのは初めてのことだった。あのとき、確か、撮影は鴨川をバックにした場所だった。松山猛が、横に置いた「イムジン河」の2番の歌詞のフリップボードを眺めつつ、北朝鮮からのクレームの内容の紹介と共に、「僕には、やはり、この詞にするのが一番いいと思ったんですよね」と語ったのを覚えている。深く考え込みながら、静かにそう結論を言い置いた。カメラがアップで捉えていたボードの歌詞は、「誰が祖国を二つに分けてしまったの」の部分で、この言葉が朴世永の原詩になく、意味が異なるので認められないと北朝鮮(朝鮮総連)は拒絶していた。原詩に忠実に訳詞せよという要求だった。原詩の趣旨は、プロパガンダ色が濃厚で、北側の視線から発信された政治詩であり、松山猛の詞は南北分断の民族の悲劇を一人の人間がフラットに嘆くものだった。
加藤和彦の死を悼む - 「あの素晴らしい愛をもう一度」の原風景
2009-10-19 23:30:00
テーマ: 音楽
スリーフィンガーのギターのイントロが印象的な名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」は、1971年の4月5日に発表になっている。この曲を聴いて広がるイメージは、日本のどこにでもある地方の田園風景で、目の前に草っ原が広がって、小川が流れているような場所で、隣に座った女の子と二人で景色を見つめている感じである。日本の自然の情感がやさしく溶けている。70年代の日本の田舎は自然が豊かで、吹く風の中に森や花や草の匂いが生き生きと感じられた。この曲の中には70年代の日本の自然があり、その当時の瑞々しい青春の心がある。今の日本の若い音楽家のヒット曲の中には自然がない。自然の情景が浮かんでくる歌詞がない。それはきっと少年期の生活空間の中に自然がなかったからだ。この曲は、後に中学校の音楽の教科書に載り、幅広い世代に愛され続けることになるが、まぎれもなく70年代の歌としての個性を持っている。文部省が教科書に載せた理由も、この曲の、「一時代過去」という意味での古典文化性に着目したからだと私は思う。この曲を70年代的な創造性に特徴づけている要因は、加藤和彦ではなく北山修がもたらしたものである。追悼の言葉で、「常に時代の最先端を走っていた」と誰かが評していたように、加藤和彦の創造性には時代に制約されたところがなかった。60年代から活動を始めた音楽家でありながら、すでに80年代的な特性を身につけていた。「ナショナル住宅」のCMソングなど典型的で、80年代でも、90年代でも、現在でもそのまま通用するセンスがある。  
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