震災の風化はなぜ起きているのか。4年の時間が経てば、個々の意識の中で震災は自然に風化するものなのか。そうではないと私は思う。風化は自然現象ではなく、マスコミと政府が故意に風化させているのだ。前回、関口宏が被災地に出向かなかった点を問題に挙げた。風化の一端を示す事例だろう。今年も気仙沼に行きますかと、そう関口宏に声をかけた番組スタッフはいなかったのだろうか。被災地から生中継をしないということは、優先度を下げたというか、特別扱いを中止したというか、昨年までの報道の形を変えて後退させたことを意味する。重視の度が落ちた評価づけをメッセージしている。同じ変化は、TBSの関口宏だけでなくNHKでも起きていた。記憶では、昨年までのNHKは、両陛下が出席する新国立劇場での政府主催
追悼式について、一つの独立した番組を編成していた。新聞のテレビ欄に、午後2時半から30分ほどの短い特別番組を挿入していた。8月6日の広島での平和記念式典のように、タイトルを打って正式な番組の形式で伝えていた。今年は、「
情報まるごと」という昼のワイドショー番組の中に、追悼式の中継が組み込まれた放送になっていて、独立した番組が設定されていなかった。これこそ風化を象徴する出来事だ。意外かつ不審に感じた者は多かっただろうし、被災地の人々は少なからず心が傷つく思いだったと想像する。