家の中を探したら、週刊文春の
3/27号があった。3/14の理研の中間報告の後に出され、巷で大いに話題になった号で、小保方晴子の事件について大型の特集記事が掲載されている。メインの記事タイトルが「売らんかな」の動機が丸出しの
下劣なもので、そのためジャーナリズムの所産として評価されてないし、どうしても軽侮の視線で見てしまうが、あらためて読み返すと、やはり一読の価値のある内容で、フットワークよく取材して書いている。この記事で上げられた一つ一つの指摘が、例えば、笹井芳樹の「ケビン・コスナー」と「僕のシンデレラ」云々の問題が、今でもしっかり人々の脳裏に残っていて、事件全体のイメージを形作る重要な契機になっている。無名のフリーの記者の仕事だろうが、体当たりで関係者を直撃して証言を取った職業人の根性は見上げたものだ。この問題が社会を揺るがす事件に発展して2か月経ったが、経緯の中で、今では貴重で重要な二次資料となり、この事件を考える上での古典史料とすらなっていることに気づく。この号、小保方晴子事件が最終的に解決するまで、ゴミ箱には捨てられない。記事の冒頭、理研で小保方晴子の元同僚だったという「A氏」が登場し、こう言っている。「
いつか小保方さんは国民の前で真実を語らねばならない日が来るでしょう。そこで彼女は、間違いなく涙を流すはず。でも、私はその涙を信じません。彼女に騙されてはいけません」(P.22)。