左翼の壊死。この事実を納得的に了解するためには、いくつかの表象を要素として思考することが必要になる。それは、<�業界左翼>と<�東京左翼>と<�学閥左翼>である。それぞれ、定義して説明することが容易ではない言葉だけれど、何を言わんとしているのか、どのような対象を指しているのか、これまでの経験や見聞の中で、それとなく察知され、見当をつけることができる者は少なくないだろう。<�業界左翼>も、<�東京左翼>も、<�学閥左翼>も、どれも否定的なニュアンスの政治言語である。今回の、宇都宮健児の強引で不合理な出馬劇、それを後押しした左翼政党の倒錯と異常、そして一本化拒否のヒステリーと集団狂気について、何が起きたのか、どうして起きたのか、全体の意味を理解しようと試みるとき、<�業界左翼>、<�東京左翼>、<�学閥左翼>の諸表象が役に立つと思われる。これらの表象は、さしあたっては手探りの感触でアプローチされるものだが、言語的に中味を埋め、広く人口に膾炙されるところにまで一般化し、政治学的に有効な範疇に仕上げることが求められている。<�業界左翼>。この表象については、前回、関曠野の言説(窓社)を紹介した。したがって、この表象は、すでに一般的な認識を多くが共有している。左翼批判、あるいは左翼の自己批判の一般論として定着している。ただ、言わなくてはいけないのは、1992年の関曠野の時点よりも、その腐食と劣化と不全が極まっていることだ。