ヤマト(倭・大和)とは、もともと奈良盆地の東南地域を指す呼称で、大和政権の拡張と共に征服した領域をその名で呼ぶようになり、さらに列島全体の国号となったものである。王権が出発したもともとの国の名が、支配を拡大した全域を指すようになるのは、秦や宋など中国の歴代王朝のパターンと同じだ。沖縄の人々は、本土の人間をヤマトンチューと呼ぶ。大和人。その後、7世紀に国号をヤマト(倭)から日本に変えた。閔妃暗殺の問題に考えを集中させると、どうしても、古代以来のこの国家と民族の歴史に思いを馳せざるを得ない。日本は、長い歴史の中で、何度か国家滅亡もしくは分裂の危機に瀕してきた。その最も近い経験は、69年前の1945年のことで、このとき歴史上初めて外国軍に全土を占領され、天皇制の存続も危うい事態になる。70年前の今ごろ、1944年の10月とかは、この国の誰もが、日本は滅びるのではないかと漠然と思ったことだろう。日本人も絶えてなくなる、民族が絶滅すると、そういう不安に苛まれていたはずだ。663年、白村江の戦いに敗れた直後、天智朝が近江京の要塞に逼塞して「本土決戦」を覚悟していた当時も、まさにそういう恐怖と焦燥にかられていた時期だっただろう。そろそろまた、同じカタストロフに直面する時節ではないかと、私はそう感じている。そして、今度こそ、国家(日本)と民族(日本人)が滅びるのではないかと、悲観の念を強くしている。その根拠はと言えば、司馬遼太郎が逝く前にそう予言を残していたからだ。