韓国の地検が産経の前支局長を在宅起訴したのが10/8で、この日は偶然にも、119年前の1895年に閔妃暗殺事件が起きた日だった。在宅起訴の件をニュースで知ったとき、一瞬、脳裏に閔妃暗殺の歴史が過ぎり、ネットの情報に目を通していたのだけれど、そうしたら、何と
同じ日の出来事だという「偶然」に気づき、愕然とさせられたのだった。その衝撃と昂奮のまま、一週間が過ぎようとしている。これは偶然の一致ではなく作為の政治であり、韓国政府からの暗喩のメッセージに違いないと、日を追う毎に確信を深めている。閔妃の問題について書かなくてはいけない。まず、日本史の教育の問題だ。私が高校で日本史の授業を受けたとき、閔妃暗殺事件は教科書に載っていた。と言うより、角田房子が「
閔妃暗殺」の表紙に使っている閔妃の写真が、教科書のページに大きく載っていて、きわめて鮮烈な印象として残った。事件そのものが何とも不気味で不可解だったが、全体が薄暗いトーンで撮影された肖像の、特にプレッツェルの形状をした大きなかつらの姿が異様で、授業中にずっとその写真に見入っていた記憶がある。教科書は
家永三郎著の三省堂のものだった。最近の若い世代は閔妃を知らないという噂があり、まさかと思い、手元にある山川出版社の1996年発行の教科書を確認したところ、驚いたことに閔妃暗殺の記述がなかった。エッと絶句させられたまま、信じられない気分で時間が経っている。標準と言われた山川の教科書の、本文にも欄外にも閔妃の記述がなく、索引にも名前がない。