マスコミ報道でも、ほんの少しだが、「一票の格差」について厳密な区割りにすると、議員が東名阪だけになってしまうという懸念の声が出され始めた。一票の格差をなくせという主張は正論で常識だが、地方の議員が減ることにとよって、地方がますます衰退するという指摘も常識だ。選挙制度については、これが絶対というものはなく、どれも一長一短があり、すなわち熟慮とフィードバックで調整を図り、よりベターなものに仕上げていくという方法を選ぶ態度が必要だろう。その点、今回の議論では、地方の弊害があまりに無視されすぎていて、「一人一票」の原理主義が怒濤のごとく司法とマスコミによって扇動され、厳密な区割りの徹底こそが真の民主主義で絶対的正義だと喧伝されている。デメリットが捨象されている。そして、その運動の旗を振っている連中の素顔を見ると、小泉構造改革の主役だった
毒々しい面々ばかりという不気味な事実に気づく。ここに、危険で奇妙な政治の臭いを嗅ぎつけない人間はいないだろう。支配者側の動機と欺瞞がある。相反する常識と常識を秤にかけること、矛盾する二つの制度上の利益を比較衡量して、妥当な線引きを慎重に図ること、こうした姿勢が、今回の司法判断とマスコミの議論では見られない。本来、それをするのが司法であり、法曹家の使命ではないのか。弁護士のバッジには秤が彫られている。法の女神テミスは片手に天秤を持っている。第一東京弁護士会は
HPで、「法の本質はバランスにあり」と言っている。