先週(12/1)、朝日の
紙面(17面・オピニオン)に佐伯啓思が登場し、橋下徹と「維新の会」の大阪ダブル選勝利について論評している。要約すると、次のとおり。①橋下徹の現象は小泉純一郎と同じで、大衆が閉塞感の打破を求め、既得権益を壊して一新しようとする流れの延長。②橋下現象は民主主義の必然であり、何か敵を作って叩くという衆愚政治に落ち着く。③近代の民主主義は、政治に民意を直接反映させるのを避ける仕組みを組み込み(政党・内閣・二院制)、行政の継続性と一貫性を担保してきた。④日本では、政治が人気によって左右されるようになり、イメージ先行型の不安定で平板な民主主義が出来上がってしまっている。概ね、こんな具合の議論で、橋下徹のブームに対して距離を置いて冷静に観察している。この点は、橋下徹礼讃で染まったマスコミやネットの言論と一線を画しており、積極的に評価できるものだ。昨年、ブログは古代ギリシャのデモクラシーについて考察し、アリストテレスが民主制に対してきわめて厳しい認識を示し、民主制は常にその堕落形態である衆愚制に陥る契機を孕んでいると看破していた点を指摘した。また、ポピュリズムの語について、米国政治史の検証から概念を鋳直すよりも、衆愚政治の意味で一般に定着している日本語の用法をそのまま政治学で使用し、現実政治を切る道具にした方がいいとして山口二郎を批判した。