当初、司馬遼太郎に依拠しつつ新しい龍馬像を描くかと期待したNHKの『龍馬伝』だったが、どうやら見込み違いだったようで、画期的作品の評価にはなりそうにない。半平太像の描き方の失敗は、土佐史や幕末史の根本的な無知に起因し、龍馬論の歴史認識の誤りから導かれている。ドラマを見ながら、同時並行で二人の作家の小説を読んでいるが、あらためて、司馬遼太郎の歴史認識の素晴らしさに魅了され、『竜馬がゆく』の普遍性を確認させられる。NHKのドラマと司馬遼太郎の違いは、政治というものの本質を捉えているかどうかにある。司馬遼太郎の小説はまさに政治学で、人間と政治についてエッセンスが講義されている。NHKのドラマでは、政治は外在的であり、龍馬が勤王党に入党した動機が説明され得ない。NHKの場合も含めて、龍馬論の中に少なくないが、単に自己のノンポリ万歳論を説教せんがために龍馬を都合よく利用する傾向がある。NHKのドラマでは、久光上洛の政局が全く説明されない。寺田屋事件についての説明も曖昧で、視聴者には何があったのか全く理解できない。文久には文久の政治史がある。久光上洛と条約勅許と公武合体の政治史が入らなければ、勤王党の東洋暗殺も歴史的な意味を伝えられない。どうやら、NHKの原作者は社会史は得意だが政治史は苦手なようである。政治が嫌いなのだろう。政治アパシーを嘯いていれば人に褒められる時代が長く続き、日本人は政治に無知になった。