「
ポトスライムというのは何の変哲もない葉っぱ、観葉植物ですけど、それを舟として、寄る辺ないこの日本の荒波に揺られているという一つのメタファーでもある」。今年の芥川賞の選者の一人だった
宮本輝は、講評でこのように言っている。私は、文学については門外漢ながら、この作品におけるメタファーとしてのポトスライムについて、もう少し丁寧に言葉を加えてもいいように思う。作品の場面中、主人公のいるところには必ずポトスライムが小瓶やコップに差され、さりげなく物語の情景を見守っている。昼の工場の休憩室、夜のバイト先の店内、家の玄関と部屋と縁側。ポトスライムはもの言わぬ静かな観葉植物で、自己主張をしない。安上がりで手間がかからず、水を差し替えるだけで逞しく生き延びる。しかし、観葉植物らしく確かな明るさと色彩を一瞬も休むことなく空間に与え続ける。簡単には萎れず、くたびれない。空気のように顧られないけれど貴重な働き手。ポトスライムはナガセ自身なのだ。そして、ポトスライムの質素で控えめで伸びやかな生命力と存在感が、この小説のイメージそのものを醸し出し、読者の共感や納得の根源的な要因になっている。