事業仕分けの政治の中で、繰り返しマスコミで言われるのは、「今回初めて予算編成の過程が国民の前にオープンにされた」とか、「これまで霞ヶ関の内部で隠されていた無駄な事業が初めて透明にされた」という言説である。この「公開性」の説得が強力に効いて、国民大衆の事業仕分けへの支持率がハネ上がる結果となっている。事業仕分けの報道がされる度に、ニュース番組のキャスターやコメンテーターから「史上初めて透明化される国の予算編成」の意義が強調され、念押しされている。細部に問題はあっても国民の前にオープンにすることに意味があるという結論で総括され、それが世論の主流に収まっている。私はこの「公開性」の説得に疑問を抱く一人であり、納得できずに首を傾げる少数派である。この事業仕分けの「公開性」と「透明性」の意義の強調には少し嘘がある。何故なら、今回の仕分け作業で財務省から「無駄」だとして俎上に上がった問題事業は、決してこれまで一度もマスコミが報道したことのない情報ではなかったからだ。仕分けられた事業の中で、そして仕分け場面がテレビ報道された案件の中で、これまでマスコミが取り上げていたものは数多くあり、われわれがすでに見知っているものも少なくなかった。予算削減が当然と判断される事業においては、むしろ、従来からワイドショー等で問題が指摘されてきたものの方が多かったのではないか。