『龍馬伝』の第8話では、当時の城下の夜の情景が場面として登場していた。何度か映像に出た橋は、おそらく、
はりまや橋の想定だろう。龍馬が渡ってきて、夜の繁華街に加尾を見つけるが、方角としては南から北に歩いている。橋の下を流れる川は当時の堀川で、その後、埋め立てられ、現在は高知市内を東西に走る広い電車通りとなっている。はりまや橋を渡った北側が繁華街の
京町で、現在も町の名をアーケード街にとどめている。藩政初期、京から井筒屋という呉服屋が城下に来てこの場所に店を開き、藩の御用商人になったことから京町の名前が付いた。高知城下の者たちは、夜の飲み歩きが大好きだから、あの繁華街の殷賑の再現は納得できる。現在、観光ポイントとなっているはりまや橋の
地下道に、明治初期のはりまや橋から北側を撮影した
写真が展示されていて、この写真の街並みがドラマの時代考証の史料になっているはずだ。『龍馬伝』は背景のセットをよく作っていて感心させられる。当時は道は狭いけれど、商店街の軒の連なり方から想像して、何となく現在より賑わって活気があったような印象すら受ける。はりまや橋から少し東の方向に歩くと、菜園場に半平太の
道場があった(当時の新町田淵町)。妻の富子の実家である。小説『
竜馬がゆく』では、勤王党の結成と運営で打ち合わせを重ねるべく、西の上町一丁目からはりまや橋を越えて龍馬が足繁く半平太の邸に通う場面が描かれている。